7月21日にNHK-BSで放映されたドキュメンタリー番組「大地は誰のものか-ロシアを耕す中国人」は、過疎化が進むロシア極東部に中国農民が進出し、広大な農地を耕していることを伝える興味深いルポだった。
旧ソ連時代、バイカル湖以東の極東の人口は約900万人だったが、ソ連崩壊後の生活苦に伴う人口移住で、現在は620万人まで低下した。2015年には500万人まで低下するとの予測もある。このため、極東では膨大な休耕地が生まれ、そこに農地の少ない黒竜江省など中国東北部の農民が大量に押し寄せて大豆や野菜の収穫をしていることを伝えた内容だ。
番組に登場した黒竜江省の張さん兄弟は対岸のハバロフスク地方の100ヘクタールの農地をレンタルし、電気も水道もないトレーラーハウスに5カ月間住み込んで耕作する。中国農民の平均的耕地面積の50倍で、年収は300万円と本国の15倍に上る。生活・労働環境は過酷でも、収穫期をここで頑張れば、一攫千金が可能なのだ。土地のレンタルや入国手続きは中国の農業関連企業が処理してくれる。
番組では、中国農民とロシア農民の生産性の違いも紹介された。中国農民は本国から持ち込んだ種子や大量の肥料を使用し、懸命に働いてロシア人農場の3倍の収穫を上げるという。農地の再生能力を無視した収奪農法だ。これに対し、隣接するロシア農場では、ソ連時代の集団農場の伝統が残り、農民はウオツカをあおり、仕事をさぼっている。どう見ても、この勝負は中国の圧勝だろう。
中国企業はロシアの自治体役人に賄賂を送り、賃借する農地を次々に拡大している実態も紹介された。ロシア人が土地購入を申請しても、役人が却下し、賄賂を支払う中国側を優遇するという。ロシアでは、官僚主義が進む中、汚職・腐敗が農村部にも蔓延している。中国人は賄賂を贈るのが得意で、ロシア人は賄賂を受けるのが得意なのだ。
別の情報によれば、中国農民がレンタルするロシアの農地は既に、40万ヘクタールに及ぶという。ロシアが今年世界貿易機関(WTO)に加盟すれば、中国農民は農作物輸出が可能になり、ビジネスチャンスが広がる。いずれ、中国資本がロシアで、食糧の流通ルートや価格決定だけでなく、土地売買の主導権まで奪いかねない勢いだ。
中国の英字紙チャイナ・デーリー(12年3月16日付)も、ロシアで働く中国農民のルポを掲載し、「春に気温が上がると、大量の中国農民がアムール川を渡り、レンタルしたロシアの農場で働く。彼らは11月までいて、帰国する。収穫期には、極東だけでなく、モスクワ近郊や黒海沿岸の至る所の農地で中国農民を見ることができる。彼らは大豆やトウモロコシ、野菜を栽培し、ロシアで販売する。ロシアは外国人や企業への土地貸与を拡大させる方針で、大量の中国農民がロシアの大地に殺到するだろう」と報じた。ロシアのネット情報によれば、ロシア全土に住む中国人は非合法滞在者も含め200万人という。
北方領土はロシアに実効支配されているが、極東が次第に中国経済に飲み込まれると、極東は中国に「実効支配」されかねない。
そして、その先には、極東は本当にロシアの領土なのかという疑問が生じるだろう。極東の歴史を振り返ると、ロシアの領土保有に正当性があったのかという疑問にぶつかる。沿海地方などは、17世紀のネルチンスク条約に始まって、アイグン条約(1858年)、北京条約(1860年)などの国際条約によって、ロシアに併合された。当時弱体化していた清国からロシア帝国が強引に奪い取った形であり、帝国主義的な領土編入といわれても仕方がない。
中国の愛国主義的論調があふれるインターネット上では、「ロシアの沿海地方は中国固有の領土」「ロシア人を沿海地方から追放しよう」といった反露的な書き込みが多い。中国政府は公式には領土問題を提起せず、沈黙を保っているが、152年前まで中国領土で、北京条約によってロシア領となったウラジオストクを、ある日突然「中国固有の領土」と言い出さないという保証はない。
ロシアのメディアが日中間の尖閣問題を比較的詳しく報じているのは、中国が1970年ごろ突然、海底資源の眠る尖閣を中国領と主張し始めたことから、明日は我が身と警戒しているためかもしれない。
(名越健郎)